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第377話 池上彰先生には遠く及ばないが、小難しいことを紐解いてみようと思う~天皇の継承について

Nice to meet you!!!

ジョニー・ジョニー・デッパーです😃

 

「令和」に改元してはや半月が経過しようとしています✨

結構ぼくらはメディアに載せられるがままに「改元」を迎え、受け入れ、

そのまま流れるように進んでいますが、

 

そもそも日本の「元号」や「天皇」について、

専門家ほどの知識は必要ないですが、多少なりともの理解というのは

必要なのかなーと個人的には思っています😄😄

 

そこで、池上彰先生ほどの明解さはないかもしれないですが

ちょっと、簡単にまとめてみます✨

 

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①一世一元は明治からである

一世一元というのは簡単に言うと、一人の天皇の治世では、元号は一つ、ということ。

これが定められたのは明治維新以降の出来事です。

 

明治政府は一世一元の詔を発布して、制度を定め、天皇が変わるその日から「即日改元」というかたちになりました。

 

それまでは、一人の天皇の治世で天災が起こったりするたびに変わっていました。

逆に新たな天皇が即位しても変わらない場合もありました。

 

この一世一元というのは、明治時代に定められたものでした。

 

第二次世界大戦後の日本国憲法、および皇室典範には「一世一元」というのは定められておらず、慣例として「昭和」が用いられ続けられました。

 

しかし、やはりこれをきちんと定めるべきという声に押され、1979年に元号法が成立し、一世一元が法律で定められます。

 

こうして、昭和→平成→令和へと一世一元は継続されています。

 

 

皇室典範には崩御した際に退位することが書かれている

 

次に天皇生前退位が一時期議論になりました。

そもそも、天皇が生きている間に退位することがなぜ、議論になるのか。

 

それは皇室に関して定めた「皇室典範」が退位の前提を崩御としているからです。

現行の皇室典範は明治に定められた旧皇室典範を引き継いでおり、

これは一説には伊藤博文が、そもそも天皇は終身制によるものなのであり、

途中で譲位するというのは悪しき慣習が残ったものである、とする考え方を持っていたからです。

 

さらには一時期は上皇による院政が敷かれたり、南北朝に分かれたりと

権力が二分する時代も生まれました。

 

明治という社会は(建前上)、それまでの武士社会から天皇中心の国家を建設するという名目で進められたものです。

 

その天皇が上記のように2人いたり、上皇が権力を握っている状態は避けなくてはいけない、というわけです。

 

では今回退位をしたいと述べた明仁天皇(現上皇)がイレギュラーで異常なのか、

と言われると、そうとも言えないと個人的には思います。

 

そもそも生前に譲位された天皇は64人いました。

 

そして今回天皇生前退位を希望されたのは、

昭和天皇の最期を明仁天皇が見てきたからだと言われています。

 

つまり、平成30年になって突然思い立ったのではなく、

天皇にご即位されるときからずっと頭にはあった、と考えるのが自然だと思います。

 

昭和天皇は昭和62年に86歳で倒れられ、一命はとりとめますが

それでも天皇は終身制なので、公務にあたらねばならなかった。

 

昭和天皇生前退位などという発想はありません。

 

しかも天皇の日々の健康データはご本人が知らないところで

採取され、管理されている。

 

要するに一般人のような人権というものは皇室には通用しないというのが現実です。

 

亡くなるまで公務にあたる必要のある現実。

 

これを明仁天皇は見ていらっしゃいました。

 

しかも天皇が自ら辞めたいというのは言えないのです。

なぜなら、天皇は政治的な発言を憲法で禁じられているからです。

 

なので、滲ませなければならない。

 

かなりの大変な思いはあったかと存じますが、

今回は特例法というかたちで生前退位を実現されました。

 

 

かなり簡単な解説を書き連ねましたが、

たまには小難しいことを書いてみるのもいいかなーと思っています✨

 

See you again!!!

ジョニー・ジョニー・デッパー