第158話 どうして西武新宿駅は離れているかの謎に迫る!!!!
Nice to meet you!!!
ジョニー・ジョニー・デッパーです(≧▽≦)
今日のテーマは
です(#^^#)
新宿駅に行かれたことがある方は西武新宿だけやけに離れてんなー
なんて思ったことありませんか???
そう、その謎に以前「日経スタイル」が迫っていました!^^
西武新宿駅は当初「仮駅」として、設置されたことが始まりだそうです。
それが1952年のお話。
ちょうど新宿駅前の整備が計画されていたので、それを待って延伸する予定でした♫
1950年代後半に入ると、駅舎を壊して「新宿民衆駅ステーションビル(現ルミネエスト)」の建設が始まり、西武線はそこに入るはずだったのです、、、!!!
だが、しかし、、、、!!!
島ホーム一本に6両分の列車が入るスペースしか確保できない、、、、、!!
なんという制約でしょうか、、。
当時、乗降客数もぐんぐん増えていましたので、
6両、8両、10両とどんどん増えていました。
これではどうにもならなかったわけです♪
そして1977年にプリンスビルや商業施設を正式に「本駅」となるわけです!
なんという悲しいお話。。。
実はこのときの計画の痕跡が今も残っているそうで、ルミネエストの建物は1階の天井が高く、2階はかなり低くなっており、1階の吹き抜けもやたらと広くなっています。
かつての設計図を見ると、このフロアの形が西武線乗り入れ計画の名残だとわかります。
【計画時の新宿駅の図】→右手2階に入っていくのが西武線、、、となる予定だった・。
参照元 同上
バブル期には地下で新宿駅とつながる構想も出ました。
が、1995年、頓挫します。
この理由として、バブルが崩壊して、収益が下がったこと、乗降客数が伸び悩んだこと、地下水対策で想定より費用が膨らんだことなどが挙げられます。
こうして、またしても幻になってしまうのです。
西武線が今の位置に落ち着いているのにはちゃんとした理由があるのです。
そして西武社内でもあくまで西武新宿線の起点という位置づけには
「高田馬場駅」です♪
当初高田馬場までだった新宿線を今の西武新宿まで延伸しました。
乗降客数も高田馬場駅29万人に対し、西武新宿18万人なのです(*'▽')
これはこの記事にも書いてある余談ですが、
西武線は地下鉄の相互乗り入れも一番最後になった路線でした。
それは、西武グループの創業者、堤康次郎氏と東急の五島慶太氏との確執です。
当時の営団地下鉄(現東京メトロ)はその設立から五島氏がかかわっていて、
堤氏からすると、営団と協議すること自体、五島氏の息のかかったところなので、
非常に嫌がったそうです。
しかし時代の潮流にはあらがえず、西武も有楽町線と乗り入れすることになります。
See you again!!
ジョニー・ジョニー・デッパー