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第291話 意外と役に立つ社会の話⑥バブル崩壊から現在に至るまで

Nice to meet you!!!

ジョニー・ジョニー・デッパーです(≧▽≦)

 

昨日は高度経済成長の終焉とバブルの崩壊などを取り上げてきました。

 

 

www.saitama-johnny.com

 

日本はバブルの崩壊に伴って

経済的には失われた20年へと突入していきます。

 

前回お話した新自由主義の潮流は確実に日本に向かってやってきました。

80年代後半の中曽根政権で断行された国鉄の分割民営化が最初の代表的なものですが

 

日本の場合にはイギリスやアメリカとは事情が異なっていたのは

前々回にお話しをした企業が国民の福祉を支える仕組みを担っていたことでした。

 

もともと国鉄は戦争引揚者の受け入れ機関という側面を持っていたものの

高齢化によって高コスト体質に陥り、赤字転落していました。

 

但し、中曽根は非常に慎重でした。

なぜなら当時中曽根政権を陰で動かしていたキングメーカー田中角栄

民営化については容認していたものの、分割に関しては容認していなかったからです。

 

当時の中曽根内閣は自民党の派閥政治で、多数を握る田中派なしでは政権が持ちませんでした。

 

しかし、田中が脳卒中で倒れ、竹下登(DAIGOの祖父)が反旗を翻すと

分割民営化への流れが一気に加速していきます。

 

そこから日本は政治的にも混沌とした時代へ突入し、

宮沢喜一内閣の不信任案に小沢一郎らが同調して、

自民党がついに下野し、非自民非共産の連立内閣、細川護熙内閣がうまれ、55年体制が終焉し、

 

これも細川の突然の国民福祉税構想で世論の反感を買って頓挫、

さらには連立政権の一部であった社会党の離反を招き、崩壊します。

 

自民党が連立に復活したのは1994年ですが、

これは社会党を抱き込んで、委員長の村山富市を総理大臣に掲げるという

当時としてはウルトラCのような技で連立に返り咲き、

 

96年の橋本龍太郎内閣から自民党が中心の政権に戻ります。

 

橋本内閣が最初に掲げた改革路線を最も最大化させたのが、

小泉純一郎です。

 

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参照元 

http://www.kantei.go.jp/jp/koizumiprofile/

 

小泉はその高い支持率を背景に改革を断行していきます。

 

この構造改革は基本的にはサッチャーレーガンの流れを組む

「小さな政府」を志向するものです。

 

どの国でもそうですが、

規制緩和、民営化、自由競争がテーマになり、

国家による社会保障の削減が行われ、

 

グローバル化の中での国際競争力といった点でも

財界からの法人税の減税圧力は大きかったことが推測されます。

 

現在強く叫ばれている格差社会もこの構造改革によって、

より大きくなったと言われる場合も多いです。

 

企業の在り方も変わってきました。

それまでの終身雇用と年功序列では高コスト体質となり、

グローバリゼーションが拡大していくなかで、

 

安価な労働力の流入も相まって、

それまでの機能では国際的に戦えなくなりました。

 

もともと国家からの福祉が手薄な日本では

企業からの福祉が削減され、国家からの保障も減れば

底抜けに転落していく状況になりえる状況に陥りました。

 

そういった意味では会社に長く勤めれば安泰という時代ではなくなっているということの証左だととらえることもできます。

 

ある意味、自分が一番力をつけて、切り開いていく必要のある時代に差し掛かっているということです✨

 

僕らは僕らの親世代とは違うライフスタイル、あり方を要求されているといっても

個人的にはいいと思います😄

 

個人的には会社で労働力として労働を対価に勝負しようとするならば

安価で能力も高いアジアやアフリカの労働力と対峙し、競争しなくてはいけないと思っています。

 

で、あるならば、どんな道であれ、

自力をつけていくことが生きていく上の必須要件となることは

これまで以上に明白です✨😄😄

 

自力とことんつけていくことは社会への影響力をつけていくことになり、

自分が決める側に回ることができる💡✨

 

ジョニーはより自力をつけていきますーーー✊

 

See you again!!!

ジョニー・ジョニー・デッパー